ゆずれないモノ 7




次の日、大学に行ってみれば、
なぜか頬に湿布を貼り、口の端に怪我をした山野がいた。




「・・・山野・・・それ・・・・・・・どうしたの・・・・」



話しかけるなと言われたのに、
あまりに痛々しかったので、つい声を掛けてしまったのだが、
当の山野は、亜月を冷たく一瞥(いちべつ)すると、
何も言わずにその場を去ってしまった。



ズキンと胸が痛む。




「おい、横尾、山野・・・どうしたの?」



その後を追うを横尾を呼びとめ、何があったかを聞こうとしたが、


「自分で信者にやらせといて、白々しいんじゃないの」

という、思ってもみない言葉が返ってきた。



何のことだか分からない。
自分が早退したあとに、一体何があったのだろう。





何があったのか誰かに聞こうと、辺りを見渡してみると、
いつも鬱陶しいくらい、亜月に付きまとっている
数人の男子学生も見当たらないことに気付く。


なんだか嫌な予感がして、
他に事情を知っていそうな人に何があったのかを聞いてみた。



すると、どうやら数人の男子学生が、
亜月を泣かしただとか因縁をつけて
山野を呼び出し、暴行に及んだらしい。


亜月が泣きながら、西川と坂下の連れられていくのを
取り巻きが目撃していたようだ。



その後、頬を腫らし、口の端を切った山野は教室へと戻ったが、
他の数人の学生が、血だらけで保健室へ運ばれていくのを
目撃した人が何人かいるようだ。

集団で山野に暴行を加えようとしたものの、返り討ちに遭ったと推測された。




実際、血まみれだった連中は、鼻血による出血で、
たいした怪我は負ってはいないようだった。


おそらく手加減をしたのだろうと、
亜月は山野の鍛えられた身体を思いだす。




でも、先程の山野の態度と横尾の言葉。



山野がこれを、亜月が指示したものだと思っているのかと思うと、
胸が張り裂けそうだった。



誤解を解きたくても、
山野は完全に亜月を避けている。




ますます、自分の気持ちを伝えることが難しくなっていき、
悄然とした亜月に、周囲も声を掛けづらいようで、
遠巻きに見ているだけだった。




結局、あれから一言も山野と声を交わすことなく冬休みを迎え、
そして来るクリスマス・イブは、初めての男3人のシンプルなパーティとなった。


行きつけのダイニングバーで、
坂下と西川が、亜月を少しでも元気付けようと企画してくれたもので、
女っ気こそないが、面子が面子なだけに、
そこらの女性を含んだグループよりも華やかで絵になる。




酒の肴(さかな)はもちろんコイバナだ。




失恋した男二人が、
まさにその自分を振った相手の、
これまた失恋の相談に乗るという、稀に見る事態ではあるが。







「でもこうやってさ、たまにはダチ同士でイブってのも悪かないね」


少しだけほろ酔いの坂下が、ネイキッドのマティーニを口に運ぶ。


いつも女に囲まれた亜月ばかりをを見てきた二人は、
こうして亜月を二人占めできるのが嬉しいようだ。



二人して、せっせと亜月に世話を焼き、
傍から見れば、まさにご主人様と執事のような印象を与えるが、
それはそれでこの二人は堪らなく嬉しいのだ。


二人が亜月を元気付けてくれようとしているのは分かっている。

分かっているけれども、
なかなか気持ちが浮上しない。


山野にただ怒鳴られて終わりという状態であれば、
まだなんとかできたかもしれない。


でも、亜月の親衛隊気取りの、勘違いした連中のお陰で、
ただでさえ深い溝が、さらに一気に深まってしまった。


謝罪も弁解もさせてもらえず、
もしこのまま、誤解されたままだとしたら・・・。


そう思うと、またジワリと涙が溜まる。


基本、山野はあまり怒らない。
その山野をここまで怒らせてしまった。




山野のとしつくしまもない様子に
打ちのめされた亜月の凹みようは、目を当てられない程で、
いつもの俺様オーラは見る影もない。



人から羨望の眼差しを浴びることはあっても、
こうして、存在を否定される程ことごとく「無視」されるのは、
亜月にとって初めての経験だ。




そんな亜月の心の痛みも、亜月が成長する為の試練だと、
それを山野が与えてくれたんだと思えばいいと、
坂下と西川が言ってくれた。







「あ〜あ、ほんとに山野は、亜月の色んな『初めて』をもらってるな〜」

「もらってるっていうか、与えてるっていうか・・・・」

それだけ亜月にとって特別なんだねと、
そんな風に話す西川と坂下の声もどこか遠い。


虚ろな瞳はうるんとしていて、今にも涙が落ちそうだ。

ふっくらとした唇にカクテルグラスを当て、
アン・シェリダンをゆっくり流し込む。

柑橘系の爽やかな風味が口に広がるけれども、
亜月の心はちっとも爽やかにはならない。




西川は、カクテルグラスに付けられた亜月の唇を思わず凝視してしまう。

「・・・でもこれも、俺のもんにはならないんだよな・・・俺達も試練だな、坂下」

その呟きに坂下も苦笑した。


失恋モード全開の男3人のクリスマス・イブはこうして
終盤を迎えていく。



なぁなぁ、と西川が坂下に声をかけ、何かをこそこそと話していたが
それすら気にする余裕がなかった。




頭に浮かぶのは、山野のことばかりだ。

亜月の名を呼ぶ時の、低くて落ち着く声。

セックスの最中だけ、
『亜月・・・』
そう呼んでくれた。


もう、そんな風には呼んでくれる日は来ないのだろうか。


「山野・・・声・・・聞きたいよ・・・・」


ぼそりと呟く亜月に、
坂下と西川は帰るぞと声をかけてきた。


決して、へべれけに酔っているわけではないのに、
自分に起きていることの全てがまるで他人事のようだ。



タクシーに乗せられて、
道を聞く運転手に受け答えしながら、
車窓を滑る夜景をぼーっと見つめ、ずっと山野の事を考えていた。




自宅マンションに着き、金を払おうとバックを探そうとしたら、
運転手から、お金は友達からもらっているからいいと言われ、
そのまま降りて、去っていくタクシーをなんとなく見送った。



タクシーが見えなくなり、
しばらくぼ〜っとしていたが、
ここにきて初めて自分の違和感に気づく。



「・・・あれ?」


そういえば、バッグは?



いつも愛用しているレザーのメッセンジャーバッグが見当たらない。






「うそっ・・・・」




一気に酔いが冷めた。


タクシーに置き忘れたのだろうか?




「やべぇ・・・どうしよう・・・・!」




ぼうっとしていたし、
支払いもしていないので、どこのタクシー会社かも分からない。




坂下に聞こうにも、携帯が、無い。

全部、バックの中だ・・・・。




「あっ!!」

鍵も・・・・・・・・・。


「やべぇ・・・・・」


どうしよう。
自宅は目の間にあるのに、入ることができないショック。

夏ならまだしも、
このくそ寒い中、ずっと外にいたら確実に凍死だ。



どうしようと憂惧(ゆうぐ)していると、
運悪く、何かがはらりと目の前に落ちてきた。


おもわずそれを手のひらで受け止める。


すーっと消えていくそれに、

「雪・・・・・・・」


と呟いた。




どうしよう、完全にやばい。
どうしよう・・・・。

「・・・寒みぃ・・・」

寒さに両手で肩を抱く。





こんな住宅街だと、流しのタクシーはおそらく通らない。
こんな時に限って、西川も坂下もいない。




さっきから亜月の頭には、凍死の二文字がぐるぐると渦巻いている。




「はは・・・なんて最悪なイブだっつの・・・・」




誰かが側にいるのが当たり前で、
お金があるのも当たり前だった。


なにもかも自分でピンチを切り抜けたことがないだけに、
こういう非常事態への耐性など亜月には無い。

自分はこのまま、凍え死んでしまうのだろうか?



そんな縁起でもないこと考えたときに、真っ先に浮かんだのは、
山野の顔だった。




「山野・・・」

名前を口にしてハッとする。


ここからなら、山野のマンションまで歩いて10分程だ。




あれからずっと無視されているから、
ドアすら開けてもらえないかもしれない。




でも、どうせ凍死するなら、
山野の家のドアの前で死んでやる!と、妙にヤケクソな気分になってきた。

ダメ元でいい。



ただ、山野の近くに行きたい。



不安だらけの中に、万分の1の確率でもいい。
山野がまた、自分を受け入れてくれたら。




そう思いながら、
ぷるぷると震える身体を叱咤し、雪の中をゆっくり歩き出した。



8へ

2013/02/08